lundi 19 mai 2008

環境問題

世界中には様々な問題が生じている。中東やアフリカの国々には戦争もあるし、貧乏もあるし、病気などもあるので、かなり厳しい生活を送っているだろう。ただ、最近、地球温暖化などのせいで国々のリーダーや一般的に人々は益々環境問題を問題化するようになった。つまり、人類は環境問題と正面から取り組まないとはいけないようになったのだろう。それでは、いかにすれば「地球にやさしく」できるのか。
ビートたけしの著書「みんな自分がわからない」によると、彼は「地球に優しく」の言葉はつまり「人間に一番都合のいい地球をつくる」ために、どうしたらいいかという意味がある。私はこれに賛成する。実際、ただゴミをわけたり、有機農の食物を食べるだけで、自分が「地球に優しくする」と思っている人が多い。しかし、彼らに「自分の消費を下げて」、また「車をできるだけ使わないで」という時、自分の生き方を変えず、「地球に優しく」したいという。つまり、それほど邪魔にならない生き方の変化なら、人々は自分の生き方を変えることは構わないが、不便だったら自発的に変えないはずだ。
しかし、ビートたけしが「自然がそんなによかったら、これほど人が東京に集中して出てこないんじゃないか」という時には賛成できない。人が大きい町に集中するきっかけは田舎よりの高い生活水準ではなく、仕事のせいではないのか。確かに、田舎には嫌な虫などいるが、なぜ田舎に住まないかというと、何よりも田舎にはあまり仕事がないからではないか。そして、これほど自然が良くなければ、田舎に別荘を買いたい人、また田舎に別荘がある人は少ないはずだろうが、実は選択の余地があれば絶対田舎に住むと思っている人も多いではないか。実際、大きいな町では大気、川、道さえ車の排気ガス、工場の化学製品や犬の糞などのせいで汚染され、ネズミもゴキブリもなどいて、そして大きい町はストレスが高い所なので、町は田舎よりいいとは思わない。だから、本当に「地球に優しく」することは、どのようなことなのか。
とりあえず、安楽に暮らしている人はこの心地よい条件を無くしたくないので、生活水準のレベルを維持しながらも、消費の仕方も変えるべきである。即ち、更新エネルギーやクリーンエネルギーを大規模に使用するようにした方が良いだろう。実際、天然資源がなくなりつつあり、そして現代使っている資源が汚染源で、地球温暖化に拍車をかけるので、天然資源が全部なくなるまで待たず、今から更新エネルギーに変えることが必要である。つまり、石油や原子力のような汚染する資源などの使用をやめておき、太陽や風のようなクリーンエネルギーを大規模に使おうとしたらいいと主張する。
そして、「地球にやさしく」するとは個人の責任だけではなく、社会、つまり世界の国々や企業も重責を担っている。確かに、国々や企業は更に発展するにつれ、この責任は重要になるが、このことからと言って、発展途上国や中小企業が何もしなくても良いことには限らない。実際、この問題はとても複雑で、人々が皆一緒に努力しなければ、解決できないだろう。だから、京都議定書のような国際条約は最も大事なのが、このような過程は現代より更に進まないとはいけない。温室効果ガスを減らす具体的な対策を本気で実施することは非常に重要なものである。
「ローマは一日にして成らず」と同じく一日ですべて変えられなく、それはもしかしたら空想的であるが、少しずつ、皆で努力し、力や意志を入れば、未来の子供達のために、また地球の総ての生物のためにいい世界が作れるだろう。

Aucun commentaire: