lundi 19 mai 2008

「大人になる」ことの目安

人間の間に見られる様々な違いのうち、一つは年齢の違いである。単純にいうと、一方では子供がいて、また他方では成人がいる。しかし、大人の人はどのような人なのか。また、どのように「大人になる」のか。
法律の点では成年に達すると、大人として見なされる。だが、国々によって、成年齢は変わるだろう。それに、ある国の中にも、成年の概念は歴史を通して変わる場合もある。例えば、現代フランスでは成人の年齢は1974年十八歳だったが、その前は21歳だった。そして、日本なら成年は20歳で、アメリカでは21歳である。法律に従って、成人になるとともに自分のことに対して責任がとれるようになる。即ち、刑法が適用される。しかし、一概に成人になるとは責任感があるという意味ではないだろう。ゆえに、成人と大人は違うのだ。
では、どのように「大人になる」のは決めることができるのか。これについては様々な意見があるだろう。しばしば、思春期が終わってから、大人になると思っている人が多い。特に、子供の時背が高くなったことで、成年に達したら、「大人になった」とよく思われている。例えば、私は子供の時十八歳になると、親の命令に従う必要がなくなったり、好きなように自分の生活を送ることのできたりすることが大人になることだと思っていた。だが、大きくなると、「大人になるということはやはり違う」と考えるようになった。
大人になるということは年齢だけの問題ではない。確かに、普通は年をとると、身体的に成長したり、意見や意識が変わったりするが、年をとるだけで大人になったのは言えない。実際、大人になるということは精神的な過程であると思う。即ち、自分のことばかりだけではなく、他人のことも客観的に考えるようになって、自分の意見ができ、自分のした事に対して責任をとることや責任感の意識があって、また社会に認められることが総て大人になる過程のものであると考えている。例えば、いつも他人に依存して、自分の問題を抱えることもできない、または自分で考えらない40歳の人は確かに成人だが、大人にまだなっていないということだ。つまり、幼稚な40歳の人より、成熟した16歳の人がいるはずだ。そして、完全な大人になるために、自立することは必要であるかも知れない。例えば、まだ親と同居している25歳の人は親から独立していないだろう。それに、パラサイト・シングルのように洗濯してもらったり、掃除してもらったり、甘えている25歳頃の人々はまだ子供のように親に依存しているから、成長もできないし、一人前になる可能性が少なくなる。
では、私はお金以外に親に依存していないで、日常生活を自分で送るので、自立心を感じている。しかし、それで一人前の男、つまり完全な大人になったとは言えるのだろうか。そして、金銭上の独立があっても、「大人になった」とは言えるだろうか。今こそ、私は大人になったとは考えていながら、十年後仕事があって、結婚したら、また子供がいれば、きっと「大人になる」ことの目安が変わるはずだ。つまり、確かに、述べたように、具体的な目安があるのが、大人になることの目安は具体的なものだけではなく、主観的なこともあると思う。

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