samedi 5 janvier 2008

なぜ学校にいかなければならないのか。

世界中のどこの国でも、学校は基本的に基礎知識を身につける場所である。フランスでは、1882年 のジュール・フェリ法によって小学校の教育が無料になり、 宗教教育が廃止された。そして、1967年 には義務教育が六歳から十六歳までの子供に課せられるようになった。しかし、法律によって義務化されているということ以外に、なぜ学校にいかなければならないのかという問い対する答えはあるのだろうか。
先ず、学校に行く理由は、書く事や読む事、また歴史や地理などのような基礎知識を習得する必要があるからである。そして、 学校教育を通して、ある国の知識や文化、精神的諸価値を世代から世代へ伝えることができる。そのうえ、学校のような集団的な組織で生徒が他の同級生と生活すると、社会の中でどのようにして他の人と一緒に暮らすことができるのかを習うはずだ。即ち、子供達は他の人たちとの接触から多くのことを学ぶだろう。例えば、一人一人の個性を尊重することや、つまり世界の全ての人が平等であること、などである。 他人を一人の人間として認め、自分と異なる人々の外見や考え方を受け入れるならば、差別を避けることができるだろう。それに、色々な科目について多くのことを 学習することもたしかに重要であろうが、自分で考えさせること、つまり自分で自由に自分自身の意見ができることが最も大事だと思う。なお、学校で先生たちが生徒に規律権力もを教え込んだり、社会のルールを守ることも教えたりすると、生徒は安全に社会で成長できるだろう。
ところで、良い教育を受ければ受けるほど、自分のしたい仕事ができるので、学校へきちんと行った方がいいだろう。そうすれば、良い仕事しなくても、社会で働くと、身分に応じて経済成長に貢献するので、自分自身の満足感を得るかも知れない。実際、イギリスの元首相のトニ・ブレアが1997年の選挙前に述べたように、 教育は経済成長や国家の生産性に重要な関係があるので、 不景気を脱して経済成長を遂げるためには教育に資本を投資しなければならない。
たしかに学校へ行くことは必要であるが、教育の場は何も学校に限られているわけではない。現代の学校は全て 教えることができないので、子供の教育を学校にすべて任せるわけにはいかないだろう。もちろん、良い学校ほど 立派な教育を提供できるが、一流の学校であれ、三流の学校であれ、教育制度の改革がいつも問題とされているので、学校だけでは必修事項のすべてを補えない。 実は自分の一般教養や親から 教わることや、自分の経験も同じほど重要な教育だと思う。

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