jeudi 22 novembre 2007

死刑制度の是非を巡って

死刑制度は歴史的に大体世界の全ての国で存在した。つまり、犯罪を犯す人の一つの刑罰は死である。だが、また歴史的に犯罪人に対する刑罰だけではなかった。例えば、ヨーロッパの中世の時、体制に反対する人々も死刑によく処された。しかし、近代死刑制度を廃止する国は増えている。20世紀の初め、コスタ・リカとサン・、マリンとべネスエラだけは死刑制度を廃止した。2007年120国以上は全くや部分的に廃止している。フランスの場合は、1981年 バディンテール法案によって、死刑制度は廃止された。1789年の革命から1981年まで死刑囚はギロチンで執行されていた。
さて、世界中で死刑制度について激しい議論が巻き起こされている。死刑制度に賛成する人々がいる一方で、死刑制度の反対者もいる。基本的に味方の理屈は「殺人は人を殺したので、その人々が死ななかったら被害者に不公平」だと思っている。そして、「死刑は効果的な再犯を阻止する方法である」と思われている。また、死刑の恐怖によって、犯罪が避けられると言われている。
だが、死刑の宣告を下すことは不倫ではないのか。確かに犯罪を犯す人は罰を受けるべきだ。しかし、犯罪人を死刑に処すれば、(正義の女神)裁判官も同様の行為で殺人になるだろう。そのうえ、誤審のせいで被害者も死刑に処されている。時々、無実を証明するために何年もかかるので、もう執行されたら無駄で、謝っても意味がない。何てひどいことだろう。また、死刑の代わりにきちんと終身刑を宣告することのほうが有益だと思う。生涯を通して自分の犯罪のことについて考えざるを得ないし、自分の生命の意味もあまりないが生き続くしかない。こうしたらほうが公正ではないか。
だから、死刑制度は世界中にあってはならないと思う。特に、アメリカのような先進国で死刑がまだ21世紀にあるのは恥ずべきではないか。民主主義国は世界人宣言に従って、死刑を廃止すれば手本を示すだろう。

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