jeudi 22 novembre 2007

科学の進歩と人間の幸福

20-21世紀にかけて、科学が急激に発達している。この科学の進歩は様々な分野に影響がある。例えば、技術や衛生などの分野で非常に変わりつつある。しかし、技術革新はいつもいい事なのか。また、「科学の進歩は人間を幸福にする」のだろうか。
実際、20世紀を通して、やはり科学のお蔭で生活水準がさらに良くなっているだろう。医学や衛生の向上で平均寿命が徐々に長くなっている。と言えば、百年前男の人の平均寿命は約55歳で、現在では約75歳になった。それに、健康にいい影響だけではなく、技術革新のお蔭で人の安楽にも恩恵がある。総ての家庭用電化製品は日常の生活でとても役に立つだろう。例えば、冷蔵庫がなかった時代には、長く食物を貯蔵することはできなかった。
ところが、科学の進歩についてはいい点だけではない。実際、悪い点も何例でもある。現在の主な問題は多分公害や自然資源の消費のせいで環境破壊である。今から未来のために生態系のバランスを守らなければ、近代的な生活以上に全ての生物は無くなる恐れがある。しかし、基本的に技術のせいではなく、それは人間の技術の使用のせいである。資本主義の社会で一番大切のは大きな利益をあげることなので、この状態で環境を公害から保護することは全然構わないだろう。
だから、科学の進歩は人間の生活水準を向上するに過ぎないと思う。幸福なら、科学や技術革新は全く足りないだろう。人間は理性があるもので、複雑な生き物なので、幸せになるために恋愛や友情のような精神的なことの方が必要なのではいないか。私は人間としてそう信じたい。

死刑制度の是非を巡って

死刑制度は歴史的に大体世界の全ての国で存在した。つまり、犯罪を犯す人の一つの刑罰は死である。だが、また歴史的に犯罪人に対する刑罰だけではなかった。例えば、ヨーロッパの中世の時、体制に反対する人々も死刑によく処された。しかし、近代死刑制度を廃止する国は増えている。20世紀の初め、コスタ・リカとサン・、マリンとべネスエラだけは死刑制度を廃止した。2007年120国以上は全くや部分的に廃止している。フランスの場合は、1981年 バディンテール法案によって、死刑制度は廃止された。1789年の革命から1981年まで死刑囚はギロチンで執行されていた。
さて、世界中で死刑制度について激しい議論が巻き起こされている。死刑制度に賛成する人々がいる一方で、死刑制度の反対者もいる。基本的に味方の理屈は「殺人は人を殺したので、その人々が死ななかったら被害者に不公平」だと思っている。そして、「死刑は効果的な再犯を阻止する方法である」と思われている。また、死刑の恐怖によって、犯罪が避けられると言われている。
だが、死刑の宣告を下すことは不倫ではないのか。確かに犯罪を犯す人は罰を受けるべきだ。しかし、犯罪人を死刑に処すれば、(正義の女神)裁判官も同様の行為で殺人になるだろう。そのうえ、誤審のせいで被害者も死刑に処されている。時々、無実を証明するために何年もかかるので、もう執行されたら無駄で、謝っても意味がない。何てひどいことだろう。また、死刑の代わりにきちんと終身刑を宣告することのほうが有益だと思う。生涯を通して自分の犯罪のことについて考えざるを得ないし、自分の生命の意味もあまりないが生き続くしかない。こうしたらほうが公正ではないか。
だから、死刑制度は世界中にあってはならないと思う。特に、アメリカのような先進国で死刑がまだ21世紀にあるのは恥ずべきではないか。民主主義国は世界人宣言に従って、死刑を廃止すれば手本を示すだろう。